4年前の「西日本豪雨」による広島県内の犠牲者は150人余りに達しています。 その中には、多くの子どもも含まれています。 中学2年で亡くなったチームメートへの思いを胸に、 ボールをつないできたある高校のサッカー部員。最後の夏を取材しました。 27日開幕した、全国高校サッカー選手権広島県大会。 出場した89チームには、広島県立熊野高校がその名を連ねます。 そして部員の中に、亡き友への思いを抱きながらサッカーに取り組んできた生徒がいます。 ■田中辰弥さん 「最後の大会なので、負けても勝っても悔いがないように 全力で友達の分も含めて頑張りたい。」 広島県安芸郡熊野町にある熊野高校。夏休みも終わり、授業も再開です。 物理の授業に臨むのは、サッカー部の高杉凜生さん。そして西屋零さんです。 それぞれの進路に向けて、勉強にいそしみます。 ■高杉凜生さん 「(高校生活)あとちょっとなのでいっぱい思い出作りたい。」 一方、こちらはホームルームの時間です。 ■田中辰弥さん一発芸 田中辰弥さんも、サッカー部の3年生です。 ■クラスメイト 「(田中さんは)ムードメーカーのような存在。」 3人は、同じ熊野東中学校で、共にプレーしてきました。 熊野高校サッカー部は部員16人と少人数ですが、チームワークの良さが身上。 そんな彼らに、忘れられない出来事があります。 2018年7月に起きた「西日本豪雨」。 土石流が直撃した熊野町の住宅団地「大原ハイツ」では、 子ども4人を含む12人が亡くなりました。 その中には、熊野東中学のサッカー部員だった上西優太さんがいました。 当時、中学生だった仲間にとって、それは受け入れ難い出来事でした。 ■田中辰弥さん(2019) 「(災害直後は)明日も会えるのかなっていう、いつもの状態でした。 悲しいっていうのと、あえなくなるっていうのが、悔しかった。」 亡くなったチームメートの分まで。 中学最後の夏、ベンチに置いた優太さんの似顔絵が、イレブンを見つめていました。 最後の試合の日。 部員は、欠かさず試合を見に来ていた優太くんの父・美智春さんに、似顔絵を託しました。 そこには、「何時までも皆は仲間」との思いを込めていました。 あれから3年。高校3年生になった今も、3人の思いは変わりません。 ■高杉凜生さん 「サッカーしていると絶対思い出す。カミ、DFだったが、自分対戦することが多くて 止められていたので自分が1対1で練習になると思い出す。」 ■有田アナウンサー 「最後の大会では優太さんにどんなプレーを見せたい?」 ■田中辰弥さん 「一生懸命する姿を見てほしいので、諦めずに最後までボールを追いかけて チーム全員が勝てて良いところまで勝てたら良いなと思います。」 そして迎えた選手権の県大会。対戦相手は呉工業高等専門学校。 序盤、失点が続きます。2対0で前半を終えます。 更に1点を追加され、3対0で迎えた後半15分。 西屋さんのパスを受けた高杉さんがゴールを決めます。 その15分後。高杉さんがドリブルで粘りPKを獲得。1点差に迫ります。 ■高杉さん 「カミが一番諦めずに一番勝ちたい気持ちを見せるプレーをしてくれていたので それをきょう、自分もできて良かった。」 しかし追い上げもここまで。 相手の追加点もあり、高校最後の選手権は、4対2で幕を下ろしました。 ■田中さん 「最後まで諦めないということはできたと思うので、 負けたけどそういうところが(カミに)伝わってくれたらよい。 翌日。3人は、優太さんの父、美智春さんのもとを訪ねました。 ■3人 「4-2」 ■西屋さん 「最後までやったが勝てなかった。」 ■上西美智春さん 「頑張ったんだけどね。」 「西屋くん将来は?」 ■西屋さん 「体育の教師になりたい。」 ■上西さん 「もてるな~」 優太さんがいなくなって4年。今も訪ねてくれる同級生は、心の支えです。 ■上西さんから生徒へ 「大人になった。優太もそうなっていれば良いんだけど。」 「成長を見るのも楽しみにしていたので頑張ってほしい。」 ■田中さん 「応援してくれているというか、自分のサッカーしている姿を見せたかったので ここまでサッカーを続けてこれて良かった。」 「西日本豪雨」から4年。 父・美智春さんは、新たな道を目指す仲間たちに、優太さんの姿を重ね合わせます。 《2022年8月29日(月)広島テレビ『テレビ派』で放送》 #西日本豪雨 #高校サッカー #熊野高校 #広島 #広テレ #広島テレビ ■■■広島テレビニュースツイッター■■■
西日本豪雨,高校サッカー,熊野高校,広島,広テレ,広島テレビ
|